登校拒否は母親のアイデンティティの危機でもある
子供が学校に行けなくなった。
そうすると、お母さんやお父さんも精神的に追い込まれます。
子供は敏感です。
子供は言葉が苦手な分、空気感にはすごい敏感。
子供は言語化や概念化できない分、
お母さんのエネルギー感や表情にはとっても繊細でデリケート。
お母さんやお父さんの感情や苦しみにも、常に敏感に反応して、
毎日生きています。
つまり、登校拒否でお母さんが沢山苦しむと、子供もそれに反応して心が苦しくなります。
子供はお母さんと一体化しているので、まだまだ上手く線がひけません。
学校に行けない子供を前しての、
お母さんの動揺や悲しみを、
こどもはすぐに吸収し、反応してしまい、
「これ自分のせいなんだ」と自分を責めて、
「自分のせいでお母さんはこんなに悲しんでいるんだ」と自分を批判し
「自分って最低・生きている価値もない」と、
子供はさらに苦しみます。
そしてお母さんはお母さんで、自分の中のアイデンティティの危機・クライシスのど真ん中のはずです。
子供を学校にさせ行かせらられない母親という、
「母親失格」という判断を、
自分で自分にいつの間にか押し付けてしまい、
お母さんは今とっても苦しいのです。
お母さんはお母さんで、自分の中で毎日戦っているのです。
子供が自分の中で毎日戦っているの様に。
登校拒否で、お母さんの自己肯定感は爆下がりしています。
特にアダルトチルドレン・インナーチャイルド系のお母さんの場合は、
さらに苦しいはずです。
また、仕事や夫婦関係の悩みもこれに重なることもあり、
お母さんはいくつもの問題を同時に抱えてしまう事もあります。
そんな苦しいお母さんと、子供の苦しさがお互いに共鳴し合って、
終わりの見えない無限ループになってしまいます。
でも、こどもは笑顔のお母さんが見たい。
笑顔で元気なお母さんを見て、
登校拒否の苦しい中であっても、子供はとりあえずの安心を感じるのです。
お母さんと共に。
安心したエネルギー感の中で生活し、佇んでいるお母さんを見ると、
子供と言う敏感な生き物は、
自分の居場所を、家庭に感じれるのです。
登校拒否の苦しみとは、
自分の居心地の良い安心できる居場所をなくしてしまう苦しみです。
たとえ学校に自分の居場所はなくても、お母さんの安心エネルギーに包まれると、
このお家の中なら、とりあえず安心で自分が存在しても安全だと思えるのです。
この心理的な安全性・安心のエネルギー感が、
登校拒否の子供を守ります。
理性が肥大化した大人とは違い、
子供は感性とエネルギー感の世界で、まだ暮らしています。
だから、お母さんは今は安心する事が大切。
安心しているお母さんとして子供に接し、
登校拒否でとても苦しんでいる子供を、
安心させてあげる事が大切です。
でも狭い価値観を持っていると、お母さんは安心できない。
すなわち、学校の価値を絶対視してしまうと、
登校拒否は絶対悪になってしまいます。
広い価値観感じ方で、学校教育をバランスよく相対的に見て、
優先順番を見失わず、
子供の命を優先すること。
子供の輝きを優先すること。
命の輝きを優先する以上の、
それ以上の教育はないこと。
そういう広めの価値観が、
お母さんを、自分自身のアイデンティティの危機から守り、
子供に対しても、安心のエネルギーを提供することができます。
子供の命を守れる親は立派な親です。
学校教育を押し付けて、子供をさらに壊してしまうのは、
親の行動として、望ましくありません。
どんな時にも学校に行かせ続けなければいけないという、
社会の悪しきプレッシャーから、大切な子供を立派に守れることは、
親としては義務であり、美徳なのです。
僕時自身が、学校教育制度に強い疑問を持ちながらも、
オックスフォード大学で博士後まで終えてしまった
矛盾の塊です。
今の学校に行けない子供の、心の叫びや違和感に
共鳴できるところが沢山あります。
「なんでみんな学校に行かなければいけいないの?」
この疑問は、今でもさっぱりおさまりません。
今でも違和感だらけ。
宗教哲学まで、おさめた後にでもです。
小さい子供の時から、不思議で不思議でしょうがありませんでした。
どうしてそこまで学校や、知性教育にこだわるのかと。。。
もっと大切な事沢山あるのになと。。。
だから今は沢山の子供が行きたくないのもよく分かる。
色んな事がきっかけで、子供も学校に疑問も持ち、
子供を通して、
元々から存在している学校制度の根本問題や矛盾が噴き出している。
そんな風に見えています。